ダイヤモンド・ビジネス企画の淵源
石山賢吉翁の理念と行動

ORIGINATION

会社設立から51年
私たちダイヤモンド・ビジネス企画の淵源

私たちダイヤモンド・ビジネス企画は、ダイヤモンド社の『セールス』『セールスマネジャー』という月刊誌がその淵源となります。創刊時の様子が、『ダイヤモンド社75年史』(1980年 ダイヤモンド社)に書かれています。

セールスマネージャー

月刊『セールスマネジャー』

「昭和三十一年一月、『近代経営』の発刊と期を同じくして、販売実務の月刊誌『セールス』を創刊した。当時、ようやく激化し始めた販売戦に備えて、「成功するセールス」の理論、技術、手法などを平易に解説することを目的としたものである。」
創刊号はB5判、八〇ページ、定価八〇円で全国書店から発売された。

当時のダイヤモンド社の雑誌経営について、ダイヤモンド社の創業者であり、当時・代表取締役会長であった石山賢吉翁は、『私の雑誌経営50年』(1963年 ダイヤモンド社)でこのように語っています。

「私の事業の発展たるや、誠に遅々たるもので、お恥かしいしだいである。
しかし、私個人にとってみると、感慨なしではいられない。『ダイヤモンド』は、(中略)現在では、ともかく週刊雑誌として月四~五回の発行と化し、『ダイヤモンド』以外にも数種の雑誌を出すに至った。(中略)
したがって、私としては、小さいながらも成功といえる」。

石山翁はこのように自身の事業を振り返って語り、『セールス』がその一角にあったことが誇らしく書かれています。
それから2年後の1965(昭和40)年11月には月刊『セールスマネジャー』が『セールス』の姉妹誌として創刊されます。
「有能なセールスマネジャーの育成、実践用具としてのマーケティング技術の開発、最新の業界情報を提供する第一線マネジャーのための新雑誌と銘打たれ、定価は普通号一八〇円、年二回発行の特大号が二七〇円であった」とされています。(前出)

こうして時代の趨勢と共に創刊され、その号数を重ねていった2誌ですが、1972年に大きな変化が訪れます。続けて、『ダイヤモンド社75年史』(前出)から、当時の様子を紹介します。

㈱ダイヤモンド・セールス編集企画 昭和四十七年九月設立

「当社発行の月刊『セールス』および月刊『セールスマネジャー』は、従来、企画・編集は社団法人「セールス・プロモーション・ビューロー」(略称SPB、八木省三主宰)が行ない、制作・販売を当社が担当するという変則的な体制で刊行してきた。
しかし、両誌の抜本的な展開を図るうえで、一元化した企画→編集→制作→販売体制の擁立が不可欠なものとなったため、(中略)新会社の設立となった。資本金一〇〇〇万円、代表取締役社長 中林二郎(前出)」。

こうして1972年9月30日、私たちダイヤモンド・ビジネス企画が誕生しました。以来、50星霜を超え、私たちダイヤモンド・ビジネス企画が綿々と代々の編集長によって守られてきた理念と行動があります。

社名に込められたダイヤモンドの理念と誇り

私たちダイヤモンド・ビジネス企画は、1972年以降もダイヤモンド社の関連会社として、『セールス』(のちに『ダイヤモンド・セールス』)、『セールスマネジャー』(のちに『ダイヤモンド・セールスマネジャー』)、『ダイヤモンド・ビジョナリー』を発行、その時代、その時代にもっともマッチした、月刊誌・書籍の発行を続けてきました。
その間、私たちダイヤモンド・ビジネス企画が綿々と代々の編集長によって守られてきた理念と行動があります。

当社で20年以上にわたって編集部門の責任者をしてきた岡田晴彦(現・当社代表取締役社長)は、このように語ります。

石山賢吉

創業者 石山賢吉
(1882 - 1964)

私たちが歴代の編集長、経営者から常に指導されてきたのは、常に現場主義であれ、正確な数字こそ原稿の命である、世のため、人のためになる出版を、との三つの理念と行動です。
 この三つの理念と行動は、諸先輩方が、ダイヤモンド社創業者である、石山賢吉翁のお考えと行動から学んだものに他なりません。
 『こんないい加減な数字を書いてたら、賢吉さんに怒られるぞ!』
 1990年代の当社編集部では、こんな言葉が飛び交っていました。

今、私たちダイヤモンド・ビジネス企画は、これまでの紙・電子による出版という領域から、ITとAIを駆使した新たな創造の世界へ羽ばたこうとしています。
 しかし、私たちの事業活動の核となっているものは、不変です。それは、
常に現場主義であれ
正確な数字こそ原稿の命である
世のため、人のためになる出版を
という、ダイヤモンド社の創業者である石山賢吉翁の理念と行動から学び、実践してきたダイヤモンド・ビジネス企画の歴史そのものなのです。
私たちは、この偉大な経済記者、出版経営者、経済研究家の魂の一分を自らの理念と行動として、成長していきます。